介護の一工夫
ケアコート日誌

ケアのかたち・かかわりファイル

私が移動してきたとき、その方は、めったにしゃべらなかった。
ただ、何かの折に、小さく一言、お話されることがあった。
身振りで意思表示されると教わり、確かに、行きたい場所を、指で示されることがあった。
どこへ行き、何がしたいのか。
わからないことも多かったが、なんとなくは、コミュニケーションが取れるようになってきたと思えた頃、「帰る。」とその方は言った。
帰る。以前、沢山お話ができていた頃も、そのような訴えがよくあったそうだ。過去の記録を見ると、「帰宅訴え」の文字が散見された。

帰る、の一言。色んなものが詰まっていそうだが・・。
あるとき、その方(Mさんと呼ぶ)の意図がわからず、もしかしたらと感じ、紙とペンを渡してみた。
Mさんは、何か言いたげだったが、ペンを握り、字を書かれた。
何行も、何行も。
達筆を思わせる字体だが、力加減が難しいようで、すぐには読めない。半ば、解読するような感じで、読めそうなところを探した。そして、一部だが、読むことができた。
「汚い字ですみません。汚い字ですみません。汚い字ですみません。」
と何度も書かれていた。

筆談で、意思疎通できる。
そのことをユニットに伝えると、徐々にだが、関心を持ってくれる人が増え、文字を介して関わる時間も増えていった。
Mさんは、ごくまれにだが、遠くを指さされることがあった。筆談してみると、遠くにいる入居者様が、昔の友人と重なる面があって、その方のそばに行きたい、ということのようだった。
行く場所が、一つ増えた。
わからなかったことが、わかる。それは、自分にとっても、素直に嬉しいことだった。

関わり方について、さらに考えるきっかけになったのは、ケアプラン作成の方針転換だった。それまでは、例えば体重の推移であったり、多くの把握しておくべき項目がプランに盛り込まれていた。
本人の希望・意向。
そこにスポットを当てた、ある意味シンプルなものにしていくと、ケアマネージャー、リーダーを通して説明があった。

Mさんがここで暮らしていて、表に出てくる一番強い情動は、「帰りたい」ということに尽きる気がした。
言葉の出にくいMさんだが、帰りたいときは「帰る。」と仰り、車椅子に乗ったままテーブルを押したり、ご自分で車椅子を動かし、車椅子から転落してしまう。そんな事故も、1度ではなかった。
帰るという訴えがあったときは、その都度筆談するようにしていたが、とにかくその場をなだめる、事故防止ということが念頭にあったと思う。
「汚い字ですみません」と読めたときの、恥ずかしさ。申し訳なさ。それを忘れたわけではないが、やりたいケアと、やっていることが一致しないことは何度もあった。

Mさんがそのとき何を考え、どうしたかったのか。どのように関わり、その後どんな様子だったか、ということは、引き継がれたり、情報として蓄積されることもほとんどなかった。
筆談というコミュニケーションツールは得たものの、肝心なところが欠けている気がした。

父・母。
筆談のなかで、時折Mさんはそう書いた。
文章から、母はまだ生きていて、会いたい。そう読み取れるときもあれば、もう逝去されていることを理解されているようで、お墓参りに行きたい、と記されることもあった。
帰りたい、の中身はその都度ちがう。
私の気持ちを、理解してほしい。理解しようとしてほしい。
あくまで、自分が感じ取ったものに過ぎないが・・。

Mさんは、頻繁に帰ると仰るわけでもなかった。だから、こちらからあえて、聞くことはしない。ただ、帰ると訴えがあったとき、その都度ちがうMさんの「今」に、もう少し、丁寧に付き合ってみよう。
そんなことが浮かんで、Mさん用の「かかわりシート」というものを作ってみた。

今までは、「帰宅訴えがあった」で終わっていたものを、そのときのMさんの言葉、職員のかかわり・本人の様子・気づいたことなどを書き溜めてみることにしてみた。筆談に使った紙も、ファイルに綴ってみることにしてみた。

かかわりシート。それを綴ったものが、かかわりファイル。微妙なネーミングではあるが、意図をユニット会議で説明した。簡単には浸透しないとも思うし、逆に帰りたい気持ちを高めてしまうこともあり得る。とにかく担当の自分だけでもやってみよう、と。
会議のあとで、「面白そうですね」と声をかけてくれた職員がいたことは、励みにもなった。

そして、意外と早くその場面は来た。
私が夜勤で、就寝介助をしようという時間帯に、Mさんは「帰る。」といった。
他の方の介助もある。時間をみつけながら、筆談しては、その場を離れる。その合間にも、Mさんは何度か上を指さしていた。
3階に行きたい、ということのようだった。
今までも、3階に行きたい、という意思表示はあったが、理由はよくわからなかった。とにかくMさんが怪我せず、どこかで穏やかになってくれればよし、という感覚があり、そこまで知ろうとしなかった、というだけかも知れない。
自分の身体は一つで、やることは沢山ある。
偶然、そのとき時間が取れた、というのもあるが。Mさんと、時間をかけてやり取りするうち、少しずつだが、見えてきた。
どうやら、3階に父がいるので、そこに帰りたい、ということのようだった。
小柄なMさんだが、気持ちに火が付くと、車椅子のストッパーをご自身で外され、力も強い。お父様のことを伺いながら、転落を気にしながら、どう言葉をかけたらいいのか・・。自分なりにだが、悩んでは話し、話しながら、困ったりもした。困っては黙り、また話し、そんなことを繰り返した。私も終始落ち着いていたわけではなかったし、おそらく、ありきたりなことしか言えなかった、と思う。
ただ、しばらく話すうちに、Mさんは、意外にも「寝る。」と言ったのだった。

このあたりから、Mさんは、私のことを覚えてくれるようになった気がする。

Mさんは、限られた時間を、衰えとともに生きている。それは私も同じであるが、全く同じではない。
私は、仕事として、限られた時間ここに来て、帰っていく。
幾重にも限られた時間のなかで、一人の人として、一人一人と関わっていく。
もどかしさ、悩むこと。無駄なことはない。時間をかけて、紡がれていくようなものが、あると感じる。
そうした時間が流れたときに、気が付く。
いつもいつも、そうできているわけではないこと。そのときの自分。それがどんなかは、自分が一番よく知っているはずだ。
自分はどうありたいのか。
一人で変えられないことも多くあるが、自分次第なところも、確かにあるのだ。

長くなってしまった。今、Mさんのテーブルの、手の届くところに、「かかわりファイル」がある。筆談を綴った「書きものファイル」がある。
Mさんは、ときおり自らそれを手に取って、メガネをかけて、丹念に読み、眺めていることがある。
「○○に帰るという文字から、地名がわかった。ネットで調べると、Mさんの郷里の町のようだった。一緒にユーチューブで、郷里の動画を見てみた・・」そんな記載や、写真のある記録・・眺めながら、私がいることに気が付くと、私を見て、フフッという感じで笑ったりされる。
帰りたい、と仰ることがなくなったわけではない。
ただ、その気持ちに関わる人たちがいて、関わった時間があって、それらが形になって、手の届くところにある。
私を覚えてくれた、と勝手に感じているが、実際のところは、わからない。

寄り添う、という言葉はよく使われる。
私には、わかるようで、わからない。
わからないようで、感じていたり、経験してきたことなのかも知れない。
寄り添う。そこに至るまでには、何かあるのだ。人と人との関わり・時間があり、出来事があり、その深さに応じて開く花のような、そんなことなのかも知れない。花はいきなり咲かないのだ。
そして、こうしたMさんとのかかわりも、成功事例などではなく、関わりの途中なのだと思う。
その都度ちがう訴え、というのも、私の浅い捉え方でしかなかった、ということも十分あり得るのだ。

『本人の希望・意向に添う』確かにそうだと思う反面、希望が伺えない状態にある、と思われる方もいる。意思疎通ができるような、難しいような、という方も多い。実際、どのように意向をくみ取っていったらいいのか。その方によって、そして関わる人によって、見えてくるものは当然、様々なはず。正解もないが、必要とされているときに、ほどよく踏み入ってしまうこと。待つこと。一人の人として、チームとして、悩み、ときに喜び、関わり続けること。大切にしたいことは、実は沢山ありそうだ。
もしかしたら、ずいぶん前から声があるのに、私たちが聞こえていないだけ、ということはないだろうか。それを感じ取れる心の集まりがユニットのチームであり、たとえばユニット会議などは、その心を共有する、思い出す、整える、といった意味合いもあるだろう。

個々の入居者と関わるなかで、今の自分たちができる範囲。今は難しいが、できるかも知れないこと。同じような希望を持った他の方は、どうするのか。今は想像でしかないが、私たちはもっと悩む必要があるし、成長の余地は、余るほどあるのだと思う。
私たちがどうありたいのかと、入居者の意向・希望が重なっていくような道すじの、ほんの1歩目のような気もする。

また、自分のことを考えても、私は慣れると平気で排泄の介助をし、入浴の介助もできるし、笑顔も作れる。が、その方の人生に登場してしまっている、ということに対しては、あまりに無自覚で、未熟で、閉ざしてしまっているようだ、とも思う。

尽きない話ですが、このあたりで。
今回は、割と施設の内側に向けた文章ですが、今の施設の現在地(の一つ)という面での発信です。見える化、という言葉がありますが、実際行われているケアについても、そうできたらいいな、と思っています。多分に主観の入った事例と文章ですが、プランの立て方が方針転換するにあたり、考えるきっかけくらいにはなればと思います。
『何キレイごとを』とか、『そんな位置にいないわ』と思った方は、スルーして下さいね。
そして、少し力を貸してやろうかな、と思った方がもしいれば、応募という形で、来てみて下さい(笑)

最後までお読み頂きありがとうございました。

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