介護の一工夫
ケアコート日誌

“その人らしさ”

“その人らしさ”と聞いて、思い浮かぶこと。これはもう、様々だと思います。
実際の介護では、これがこの人のこだわり、やりたいことであって、私たちはそれを支援する、というような文脈で語られることもあると思います。
でもそればかりでもなく・・。
こちらとしては、本当はこうしてほしいのにな、こっちの選択の方がこの人にとって良いと思えるのに、どうしたらいいんだろう・・場合によっては、命に関わることもあり、でも受け入れてもらえないし、“本人の人生”・・それはわかるけども。
-と、心動かされるなかで、発揮されている“その人らしさ”というのもあると思います。

今回は、看取りのことを書こうと思います。 コロナ収束がはっきり見えない状況のなか、少しでも明るい話題を、とも思ったのですが・・現実には、施設での看取りという形で逝去される方も多く、人生の最後の場面に関わることが増えています。

2年ほど前からですが、グリーフケアを施設なりにですが、取り入れています。
その方に関わった職員が、色々な形の付箋に、それぞれメッセージ・思いを書いていく。それを紙に貼っていき、写真を添えるなどして、アルバムを作る。ユニット職員で回覧したのち、ご家族様にお渡ししています。

 

そのアルバム―Aさんのアルバムを作っていたときのこと。
付箋に書かれた言葉を読みながら、そして貼りながら・・そこには、自分の知らないAさんの一面があったり、入浴介助だけ、という限定的な関わりながら、温かいメッセージが寄せられていたり―(プライバシー、という面では特殊かも知れませんが)思いのほか多くの関わりのなかで生活されていたこと、また個々に受け止められた人の生死が、短い言葉の連なりではあるが、目に見えてくるなかで、作業の手が止まってしまう時間でもありました。

「いやなものはいや、Aさんは凛とされていましたね」
付箋の言葉に、本当にそうだったな、と。

Aさんは友人の多い方で、私はよく、手紙・はがきの代読をしたり、Aさんの気が向いた時には、返事の代筆をしたりすることもありました。Aさんは少しずつ、体力の衰えが見え始め、傾眠が増え、自身で動ける範囲も狭くなっていきました。
「返事、書きますか?」といった問いかけに、「今の私の状態は、みんなわかっているはずだから、書かない。私が、今より元気になったときは、書くよ。」Aさんはそう仰るようになり、それ以降、返事を書くことはありませんでした。

私はそのことが印象深く、短い言葉ですが、付箋に書きました。
どんなに医学がすすんでも、アクセスできない症状というのはあります。それが何かの栄養素なのか、わからないながら、でも、ちょっとしたことで改善しうるのではないか・・と試行錯誤する、そんな時間があったことを思い返しながら。

私たちは、入居者様の変化を目のあたりにしながら、何かできるのではないか、と思い行動もしますが、それが、入居者様の意に添わないこともあります。

Aさんは、食事介助されるのを強く拒みました。
私たち職員同士でも捉え方は個々に違いますし、一人のなかでも、全くベクトルの違う思いを抱えながら、そんな中での、日々の介助。 耳元で、小さな声で声掛けしながら器を渡すと、一口二口、召し上がるAさん。
「ありがとう。」と細い声。ただ、続けて介助しようものなら、不快さをあらわにされ、手でお皿を払いのける。そうした力があるのだから・・と何度も思ったりしながら・・。

今、Aさんの居た部屋は空室です。深夜、ナースコールが鳴って、見に行ったのですが、空っぽでした。(これは・・余談ですね。)
また、その人らしさ、というタイトルで文章を書くなかで、施設長からもお話を聞くことが出来ました。「その人らしさ・・ひとりの人間の今ある姿から、その人の今までの姿を想像し、いろいろあったであろう人生だけれど、きっと今の穏やかな姿はその人 の集大成なのかもしれないと思ったりもしますね。」とのことでした。

さて、こうしたグリーフケアがなかった頃は、何とも言えないむなしさを感じることもありました。
一人、二人と亡くなり、まるで何事もなかったかのように、新しい方が入ってくる。そんな風に感じたこともありました。

もう、Aさんは逝去されたのですが、こうやって思い返し、心を流すような時間は、自分にとって、必要な時間に感じています。

アルバムの写真のなかで、素敵な笑顔のAさん。
おおかたの作業が済んだ頃、何か言い足りない気が、ふつふつとして。もう1枚付箋を取り、言葉にしてみました。

お会いしてから、ときに死生観に近いお話や、楽しい思い出をお話して下さることがありましたね。そして看取りまでのお付き合いとなりました。
傾眠が増え、しっかり覚醒できない状態の中でも、無理に食べさせられるのはいやだ、というAさんの強い意思を感じました。私自身、迷いながらの介助でした。でも、最期まで、Aさんは強く生きておられた、とも感じました。
ありがとうございました。

ともすれば、日々の介護は動きまわって、動きまわって、ともなりますが、ふとしたときに、命の灯りのなかで働いているような、そんな仕事だな、と感じることがあります。

また、更新できるときに。お読み頂きありがとうございました。

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