介護の一工夫
ケアコート日誌

出会うこと

ユニットで勤務していると、思いがけない出会いの場面に、遭遇することがあります。
少し前ですが、新しく入居された方と、そのユニットで暮らしている方が顔なじみで、驚きながら再会を喜ばれる、ということがありました。
ショートステイの利用者様と、特養ユニットの方が友人・知人で、ショート利用のたびに会われて一緒に過ごす、というのも、コロナ以前はよくあることでした。(現在も、面会可能と判断できない時期があったり、面会方法の変化はありますが、そのように会われる方がいらっしゃいます。)
そしてこれは最近のことですが、私自身も驚くことがありました。
何か大きな声が聞こえて、隣ユニットに行ってみると、二人の長身の男性が、お互い「おおっ」と声を出したり、言葉につまったりしているところでした。一人は出勤してきた職員、一人は初めてショートステイを利用された方で、詳しくは書きませんが、お互い知り合いで、10年ぶり位に再会して、互いにわかって驚いていた、そんな場面でした。
あとでその職員と話していて、なんだか一瞬にして当時のことを思い出した。あの頃は自分も今以上に色んなことを考えたり、試行錯誤してた気がするなあ、と苦笑いするように話していたのが印象的でした。
日々勤務していると、ユニットの方々に会って、いちいち驚くということはありませんが(逆に驚かれてしまいますね・・)その日その日で、私はその方に出会っている。その方も、自分に出会っている。そんなことをふと感じました。

こちらは、上で話題にしたショートステイ利用者様が描かれたものです。アート・デザインに造詣の深い方で、季節のイラストを描いて下さり、飾らせて頂きました。また、10年前を覚えていた職員から、その頃は周りの方の似顔絵を描かれていた、という話もあり、利用時期の重なる利用者様や、職員の似顔絵も描いて下さいました。
すらすらと筆の運ぶ様子を、私も見惚れるように見ていました。(季節のイラストをお願いして、その絵に、私が色を塗ったりもしていました。)この方のように、はっきり形になるスキルがあって、人と人を繋ぐ要素にもなっていく、というのは、なかなか稀なことかも知れません。ただ、もっとささやかな形でも、それに近しいことは、日々の中で行われていることだと思います。それは、時間等の課題を抱えながらも、大事にしていきたいことでもあります。
また、生活の多くに介助を要する方であっても、そこには、介護する側の力が一方的に流れているのではなくて、何か双方向的な力が流れているのを、随所随所に感じることがあります。ただ、多人数を一人でケアする状況のなかで、それは見失いやすいものでもある気がする。ちょっとした仕草や、その方の表情から、諭されるように、気づかされることもある。
仕事意識、は十人十色な面もありますが、それが自分の仕事だけに強く寄ってしまうと、介護する力ばかりが一方的に流れてしまうと、自分も、相手も苦しい。
仕事として介護する側。
要介護という状況があって、生活する側。
双方向的な力。
そうした力が流れるように、仕掛け・仕組みを、場を作っていく。というのが、様々な形態をとりながら、今の介護の世界で行われているように感じます。
私たちも、大きなことはできなくても、その方と関わりながら、何かを見つける、気づかされていく。共有できる形にして、共有する。 できないこともある。
と試行錯誤するところに、この仕事の醍醐味のようなものが感じられることがあると思います。その一方で、人員等のハードルがあり、試行錯誤しているからこそ、ため息のようなものが出る場面も、時にはあるのだと思います。様々な場所・状況のなかで、介護の今を繋いでいる、小さな一員として。今が、未来が少しでも明るくなっていくように・・。

なんだかまとまりがつきませんが、この辺りで。
お読み頂きありがとうございました。

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