介護の一工夫
ケアコート日誌

看取り、みかん。

7月下旬に施設内で新型コロナウイルスのクラスターが発生し、8月中旬の終息まで感染症対策を経験しました。海外の国によっては、もう完全にアフターコロナで、話題になることもほとんどない、と聞くこともありますが、高齢者が暮らす介護施設では、まだまだウィズコロナが続くと思われ、大きなもどかしさを感じます。

今回は、看取り介護のなかで感じたことを少し、書いてみようと思います。

「もう、はやく逝ってしまいたいよ」
まだお元気だった頃、そう話すことのあった、高齢のMさん。
「そのほうが、家族も安心すると思うんだよ。喜ぶわけじゃないよ、きっと、安心すると思うんだよ」
その言葉は、まだ自分には理解しきれず、そのような思い方があるんだ、と印象に残る言葉でもありました。
季節が変わり、体調を崩され食事が徐々にとれなくなりました。脱水症状も出現し、看取り介護がはじまりました。話すのも大変じゃないかな、そんなご様子でした。
私が夜勤に入ったある日、Mさんのコールが鳴りました。部屋に伺うと、Mさんは、閉じていた目をはっきり開けていました。そして「あなた、親切にしてくれた、忘れないよ」「忘れないから」私を見てそう言われました。少なからず驚いたのと、嬉しかったのと。
なんだか美談めいたエピソードかも知れませんが、そのあとMさんは、コールを大事そうに握りしめ、朝まで鳴り続けました。「もう生きることはあきらめた」と口にしていたMさんは、「体が渇いて、水が飲みたい、水が飲みたい」と何度も訴えられました。少しトロミをつけて召し上がっていただきましたが、むせ込んでしまい吸引を行いました。しかし水が飲みたいといった意思は頑なで、何度となく繰り返しました。自身の迷いを口にすることもありました。
翌日あたりから、徐々にむせこみなく飲み込めるようになり、吸引することも減りました。またコールを押し、しっかりと話される姿を見ていると、また元気になるんじゃないかと思うこともありました。

そんな中、Mさんはある果物が食べたいと仰りました。みかんが食べたい、と。
ご家族様がみかんを持ってきて下さり、最初はそれをつぶして召しあがっていました。再び、飲み込みが難しくなり、「みかん」と仰るときは、みかんをつぶした汁を集めて、飲んで頂きました。
「おいしい」
声に力はないけれど、やわらかな表情をされていました。
ただそれを、本人が好きな物を提供できた、とか、希望に添えたとか、ことさらそうゆう風に思うわけでもありません。その状況に合わせた、自然なことなのだと思います。

寄り添う、というのは、先に相手があって、そこに自分を、自分が、という形に聞こえやすい。もちろんそういう場面も多くあり、大事なことでもあると思います。一方で、それによってこちらが何かできた、というこちらの満足のための言葉ではないとも感じます。(環境、場面、人と人。様々な形があるとは思いますが――)今回の看取りで感じたのは、むしろというかまずというか、自分のこと。死にゆく人の前で、何というか、何もできないということ。自分の無力を感じるほかないような、時間。人の死も、自分の無力も自然なこと。そう達観して割り切れば、それまでなのかも知れません。ただそれを、じかに体感する時間はただただ尊い気がする、そんなことを思いました。そのなかで、そばで関わる者として、淡い期待を持ったり、あまりにコールが続くと、ああ、と思ったり。その方の出している命の終盤のエネルギーがあり、言葉があり、思いがあり、矛盾があり、苦しさ優しさがある。自分もそれに見合うようなものを出そう、応えようとするが、うまくはいかない。それで良かったのか、どう受け取って頂いたのか、わからないところもある。私はいくらでも水を飲める。それなのに、切に水を飲みたいMさんは充分に飲むことができない。無力を静かに味わう、味わわせられる。受け入れるしかないのだけれどそれは、何もしないのとはちがう・・。
Mさんは、私が夜勤の時、静かに息をひきとりました。
朝になり、Mさんがストレッチャーに乗り、施設から出ていくのを、玄関先で見送りました。

私たちは、家族ではありません。
ただ、人が命を終えていく、自然と言えば自然なこと、自分もたどることを、つぶさに見て、ある一定の時間、ともに過ごします。なにかしらの出来事をきっかけに、学びを感じることもありますし、後悔をおぼえることもあります。けして長くはないその期間に、段階を踏んで、あるいは急に、人の命は、私たちを通過していくようです。
そして、悲しみの感情のなかでも、(薄情な、と思われるかも知れませんが)人が亡くなれば、食事を止める連絡をしたり、使っていたエアーマットは空気を抜いて、どこどこに保管する、という手配もしますし、次来る方はどんな方だろう、さっそく気にしたり、情報収集したりもします。まだしばらくは、Mさんの不在をおりおりに感じながらも、目の前のことに追われたりもしながら、日々が過ぎます。

そしてときどき、フラッシュバックのように。
Mさんは、みかんが食べたいと言った。
私は、みかんをつぶしてつぶして、汁を少しでもとろうと、なかなか増えない汁を、増やそうとしていた。
そのことや、自分に言ってくれた言葉。
これからの時間のなかで、ふとしたときに。
たぶん、みかんをむいて食べたときなんかに、Mさんの事を思い出すことは、きっとあるんじゃないかな、と思います。
実際は・・わかりません。(薄情ですみません。)
でも、そんな風にして、あやふやにでも、人は人のなかに残っていくのだとも思うのです。

拙い文章だけになってしまったので、最後に花を。 最近ユニットのベランダで咲いた、ナリヤランとタマスダレの花です。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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