介護の一工夫
ケアコート日誌

なわをなう

「もう、新しいことは覚えられないんだ」高齢のTさんが言いました。Tさんは、ビニール紐の長さを、指先で整えていました。あきらめの響きではなく、自然な、実感のある言葉のように私には聞こえ、Tさんは笑っていました。

ビニール紐。これは、業者さんが持ってくるタオル類を梱包している紐です。ユニットでは、広告を使ってくず入れを作って下さる方がいます。Tさんは、くず入れ作りはされないのですが、くず入れを束ねるのに紐が要り、その紐を使いやすいように整え、結わえておく、という手仕事をしてくださるようになりました。ユニットでも、今まで捨てていた紐を、取っておくようになりました。
Tさんはいつも、紐の手作業をされるとき、柔和な、そう見える表情をされていました。紐を結わえる作業の度に、どうしてそんな柔和な表情をされているのだろう。ふと不思議に思って、あるとき、作業中のTさんのそばに座って、お話を聞いてみました。
「なわをなうんだ」とTさんは言いました。

昔、大工なんかの集まるところがあって、わらが積んであって、仕事終わりなんかに数人集まってるんだ。そこで、なわをなうんだ。Tさんは言いながら、紐の長さを指先で整えていました。
Tさんも、その集う場所で、「なわをなう」作業をされてきたのだと思います。Tさんのお話は時々、聞き取れないところもありますが、草履のことも話されていました。色々なものを作られたり、日常に使ったりされたのだと思います。
Tさんも大工だったんですか、と問うと、少し笑って、教えてくれませんでした。私にはわからないことを、経験を、沢山持っている。それは見えないけれど、確かに感じることができるものです。

紐を整え、結わえる。一見、それだけに見えるようなことでも、Tさんにとっては、自分とつながる、自分が生きてきた時間とつながる、そんなこともそっと含んだ、作業だったのかも知れません。
やがて、体力の衰えもあり、Tさんが紐を結わえる姿は見られなくなりました。

高齢の方にとって、いま、何かができるということ。それが決して長く続くわけではない、これからのことはわからない、ということを、私たちは感じます。
それでも、『どうして』と不思議に思い、『違うことはできるのでは』と考えます。これが、人と関わる仕事としての『おもしろさ』『おもしろい』そして『魅力』なのではないでしょうか。そういった感覚を自分の中に育てていくことは、案外大切なことじゃないかな、と思います。私たちの人の最後に関わる仕事で、死について考えて失うものを感じて、だからと言っていつも真顔で、こちらが思いつめていては、それこそお互いしんどく、仕事としても続かないと思うのです。けして不謹慎ということでなく、『おもしろさ』『魅力』を自分で見出していくこと。それは、高齢の方の生きていくさまを目の辺りにするなかで、必然的に、深みを持たされ自分の中に残るものだとも感じます。

Tさんは今、施設におりません。Tさんのいなくなったユニットは、やはりさみしいです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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