介護の一工夫
ケアコート日誌

思いは邪魔だが役に立つ

以前ヒットしたドラマで、「逃げるは恥だが役に立つ」というのがありました。タイトルは、それを聞いて、何となく浮かんだ言葉です。この『思い』という言葉は、様々過ぎてとらえどころが難しい印象です。が、書ける範囲で書いてみようと思います。

たとえば、電子レンジでも、冷蔵庫でも、電化製品を買うとき。
気にかけるのは、価格であったり、デザイン・機能であったり人それぞれです。でも、その製品がどんな思いで作られたのだろう・・と売り場で1時間考える人はまずいないと思います。ただ、どの製品にも、形になるまで携わった人たちの織り成す『思い』は存在しており、例えば「ヒット商品の裏側」というような形でそれを知ったときに共感する、新鮮に驚く、というのはあるかと思います。
購入を検討したとき、もうちょっと知りたい、迷う、といったときは、店員さんに尋ねる方は多いと思います。その時、(たとえば)店員さんが、自身の知識を長々語り出したり、店員さんの特定の事情や『思い』から、自分の欲していない機能・価格帯の商品を紹介されたら・・そのお店では買わない、という選択肢がうまれるかもれしません。

『思い』というのはとても大切で非常に力があります。同時に、大切なものではありますが、状況によっては全く意に介されないものになります。特に必要とされない場面で『思い』が出されると、(ちょっと強い言葉ですが、感じようによっては)邪魔に感じることがあります。(書くと自分でもわからなくなるような気がします。)私見ですが、おそらく『思い』には方向性のようなものがあり、自身の居る場所・自他を潤すようなものと、単に自分のことを理解してほしい、というような自分にとどまるものとが、あると感じます。白黒つけがたく、両方が混在しているのが、自然なのかも知れません。

介護においても、場面場面で、様々な『思い』が交錯しています。そして、良くも悪くも、今という状態は、それらがうまく混ざり合った、あるいは混ざり合ったように見えて、何かが置き去りにされた状態であるかも知れません。ひとりひとりに『思い』があります。ひとりのなかでも、『思い』が一貫しているわけではなく、それぞれにぶれているところもある。どのような『思い』によって、それはなされているのか。誰の『思い』であるか。何らかの出来事によって、『思い』違いに気づき、軌道修正する、ということもあります。あるいは、時間がたっていくうちに、なぜこうなっているのかわからなくなり、辿ってみると、そこに人の『思い』があることがわかることある(場合によっては、現状と合わない『思い』であることも)。現状はこうだけれど、本当はこうしたい、というのも『思い』。何らかの『思い』が、実は曇ったフィルターでしかなく、目の前の人の可能性や、何かを、ふさいでしまっていた、ということもあるかも知れない。『思い』から始まることがらもあるし、もっと現実から要請されて応じていくうちに、自分の『思い』(あるいは他者の『思い』)がわかっていくこともあると思います。

この話は、何ら教訓めいたものはありません。ただ、ぴたっと足を止めて何かに思いをはせる、ということが難しい日々のなかで、自分の『思い』、人の『思い』に気づくこと。置き去りにされていた、あるいは自分でも気づいていない、『思い』に、新しく出会っていくこと。そうしたことは、案外大事なんじゃないかな、と感じています。こう思っていたけれど、ほんとうは、わからないな。そう思うことが、出発点になることもある。
また、事柄にもよりますが、どんなに正しい業務の判断だとしてもチームの手順を踏まずに、独りの『思い』で決めてしまったら、チーム内の信頼もくずれ、業務が成り立たなくなってしまう、ということが起こるかもしれない。一方で、私たちは手順に縛られ、狭い了見で物事を見ていて、重んじるべきことを、見間違えているかも知れない。そうしたことに縛られない、『思い』のある個人の声に目を覚ませられる、こともある気がする。そんなことを、日々の合間に感じたりしています。そうすると、『思い』はけして邪魔じゃないが(いや、邪魔であるはずはない、と思うが)、役に立つかどうかはいつも自分たち次第、というところでしょうか。役に立つ以前に持ってしまうし、よくわからないものでもある。なおさらわからなくなってしまいました(苦笑)

あ、調べてみると、「逃げるは恥だが役に立つ」というのは、ハンガリーのことわざだそうです。自分の戦う場所を選べ、といった意味を持つようです。

今回は(今回もか)、何となく書いてしまいました。仕事の中では、原因を見極め、対応の方法を考える、等、私たちは道筋の立った思考に慣れていると思います。けれども、時には寄り道のように、気になることの周辺を何となく考えてみる、思いをはせる、そうゆう時間も、大切なんじゃないかな、と思ったりしました。

写真は、今年のお正月前に思い立ち、いそいで(笑)作ったユニットの神社。作っているうち、今までも何度か作ったこと、実際に初詣に入居者様と行った年もあったこと、など思い出していました。左は、入居者様が書いた絵馬。書かれた言葉を見ていると、やっぱり、思いって大切だなあ、と素直に思えてきました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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