「・・とは、わたしが何かをしてあげることではなく、何かをしてもらうことでもない。一緒に何かをする風景だ」という言葉を、聞いたことがあります。哲学者か、何かの学問のエキスパートの言葉ではなかったか、と思います。インターネットだったか、本だったか・・何かの文章で読んだ言葉。けして、介護について語った言葉ではなかったのですが、おそらく通じるところがあるな、と感じて、うろ覚えながら、覚えていたのかな、と思います。
短い言葉。この言葉でなくても、自身が大切にしようと思えることであったり、姿勢であったり、そうしたことに立ち返る、常に立ち返りながら、ということが大切なのだと思うことがあります。(誰かの言葉で、胸に残った言葉でもいいし、自身の言葉なら、なおいいのかも知れません。)
入居者様の言葉や仕草に、わたし自身が何かを感じている。時には嬉しかったり、傷つく(と感じる)こともあるかも知れない。それと同じように、入居者様も、わたし自身の仕草や行動、言葉に感じているものがある。人知れず、それぞれ何かを感じている。それは当たり前 もちろんそうなのですが、慣れて日々を過ごすうちに、あるいは忙しさのなかで、ほんとうは自分が大事に思っているはずのことを、実際にはそうできていないことがあるかも知れない。いつのまにかずれてしまっていることが と立ち返り続けることが大切だと思えるし、言うほど容易ではないと思えることもあります。
これは、リビングでの風景なのですが、とある方(Aさん)が食事中などに気持ちが落ち着かなくなってしまい、大きな声を出されたり、食事もすすまず、その様子で他の方も気になってしまう、ということがありました。もちろん、職員それぞれにアプローチはするのですが、なかなか・・というなかである職員が気が付きました。
少し遠い席におられるBさんのそばで過ごすと、Aさんは次第に落ち着いて過ごされている。この話を聞いてそうしてみると、確かにAさんはよくお話されたり、お二人とも相性がいいようなのでした。
Bさんは好き嫌いのはっきりした方で、入居者様に対しては後者のことが多いのに、Aさんのことを気遣ったり、ときに楽しそうにお話されていることがある。(自身はそうした可能性に気づかず、複数職員がいることで、多様な気づきがあるなあ、と改めて思ったり。)
そしてこの風景はAさんが穏やかに過ごせると同時に、Bさんにとっても、なかなかいなかった話し相手が出来、お話を楽しむ、なじみの人ができる時間にもなっている。ときおり職員が間にも入りますが、そうした時間ができてきました。
介護する側、される側というのは、確かに存在する、明確な区分ではあります。ただ、そこだけみてしまうとまちがいにもつながる側面のある言葉でもあると思われます。相方向的な力が流れるように、ということは日々意識することではありますが、冒頭の言葉で言うと、この例は一職員、一入居者にとどまらない多方向の力が流れているといえそうです。ただしニュアンスを間違えば、「一方的に入居者様に任せてしまっている」ともなってしまいかねない、繊細な部分も含んでいると思われます。
双方向(相方向)的な力。
たとえば、タオルやエプロンをたたんで頂く手作業を思うとわかりやすいですが、そうしたことが可能な方は、ひと昔前に比べると、少なくなっている面があります。何かができる、手伝って頂く、そうした目に見えてわかりやすいことではなくても、介護という関わりをしながら気づくことはたくさんあると思います。思いがけず気づくことがあったり、その方の表情、佇まいに、受け取っているものがあるということ。
けして一方的でない、流れているものがある風景。そのなかにいながら、入居者様とともに、自身もあらたな風景のなかにいる、ひとりでもあるということ。けして一方的でなく、間違えた方向にいかないように、自身を振り返り続けるということ。言葉で言うとかたくなってしまいますが、難しいことをしよう、というのではなくて。ずれてしまいやすい自分を認識して、ずれてしまわないように、振り返る、ということの自分なりの方法であったり、好きな映画をみるとか、個々それぞれだと思いますが、そのようなことを幾つか持って、できることなら、楽しみながらこの仕事を続けていけたら、と思います。
そして、また別の面の話ではありますが、お金を頂いている、ということも、けして忘れてはならない、大きなことであると思います。


写真は、ユニットで行った「クリスマス忘年会」の様子。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
〒180-0023
武蔵野市境南町5丁目10番7号